いまでは、朝の一杯も、仕事の合間の一杯も、すっかり日本の暮らしに溶け込んでいます。けれど、日本人がコーヒーを日常的に飲むようになったのは、それほど昔のことではありません。

今回は、全日本コーヒー協会がまとめている年表をもとに、日本のコーヒーの歩みをたどってみます。


出島に届いた、異国の飲みもの

日本にコーヒーが伝わったのは、江戸時代のことです。1641年にオランダ商館が平戸から長崎の出島に移され、それ以降、オランダ人によってコーヒーが出島に持ち込まれたとされています。

ただ、当時の日本人にとって、コーヒーはなじみのない飲みものでした。

最初は「薬」や「異国の珍しいもの」だったコーヒー。日本人の口に合うものとして広まるには、もう少し時間が必要でした。


明治、喫茶店のはじまり

開国とともに、コーヒーは少しずつ日本の都市に広がっていきます。

1888年、東京・下谷黒門町に、鄭永慶が喫茶店「可否茶館」を開きました。日本の喫茶店の歴史は、ここから語られることが多くあります。


ブラジルとのつながり

日本のコーヒーの普及には、ブラジルとの縁が深く関わっています。

なかでもカフェー・パウリスタは、ブラジル側の州政府の後援を受けてコーヒーを宣伝するため各地に店を開き、コーヒーの普及に大きな役割を果たしたといわれます。昭和の初めには東京でカフェーが急増し、サロン風の喫茶店が流行しました。


戦争と、コーヒーのない時代

しかし、戦争がその流れを断ち切ります。1938年には戦時体制の強化によって輸入の制限が始まり、大豆や麦などを使った代用コーヒーが出回るようになりました。

1942年にはコーヒー豆の輸入が完全に途絶え、コーヒー豆は貴重品となります。輸入が再開されたのは、8年後の1950年のことでした。

当たり前に飲める一杯は、遠い産地と、平和な海の道がつながっているからこそ。

戦後の自由化と、日本らしいコーヒー

戦後、コーヒーは一気に身近なものになっていきます。

街には喫茶店があふれ、ハンドドリップやネルドリップ、サイフォンで一杯ずつていねいに淹れる喫茶店の文化も、この時代に育っていきました。


スペシャルティコーヒーの時代へ

喫茶店の数はその後減っていきましたが、1990年代の終わりから、日本のコーヒーは新しい流れとつながっていきます。1999年にブラジルで始まった品評会カップ・オブ・エクセレンスの立ち上げチームには、日本のコーヒー会社の代表も名を連ねていました。

2003年には、「日本におけるスペシャルティコーヒーの啓蒙・普及」を目的に、日本スペシャルティコーヒー協会(SCAJ)が設立されます。同協会は設立の背景として、価格ではなく品質で競い合おうという機運の高まりを挙げています。SCAJが主催する展示会は、いまでは世界35の国と地域から500社が出展し、4日間で延べ9.5万人が訪れる規模になりました。

街にも、産地や農園、精製方法まで伝えるスペシャルティコーヒーの店が増えてきました。

「焦げ臭くて味わうにたえない」と書かれた一杯から、およそ200年。日本のコーヒーは、そのときどきの暮らしに合わせて姿を変えながら、少しずつ私たちの日常になってきました。いつもの一杯の向こうにある、長い時間の流れを思い浮かべてみてください。