いまでは世界中で飲まれているコーヒーですが、その始まりは、アフリカの小さな森の中にありました。そこからどのようにして、遠く離れた国々へ、そして私たちの毎日へと届くようになったのでしょうか。
今回は、コーヒーがたどってきた長い旅を、いくつかの場面に分けて見ていきます。
はじまりは、エチオピアの森
私たちが飲むコーヒーの多くを占めるアラビカ種は、エチオピア南西部の森が原産と考えられています。アラビカ種の遺伝的な多様性の大部分は、いまもエチオピアに残っているとされます。
コーヒーの発見については、有名な伝説があります。エチオピアのヤギ飼いカルディが、コーヒーの実を食べたヤギが元気に跳ね回るのを見て、その力に気づいたというものです。ただし、これはあくまで伝説で、史実として確かめられているわけではありません。
イエメンで「飲みもの」になる
コーヒーが飲みものとして記録に残るようになったのは、紅海をはさんだ対岸、アラビア半島のイエメンです。15世紀ごろには、イスラーム神秘主義(スーフィズム)の修行者たちのあいだで、夜の祈りのあいだ眠気を払うために飲まれていたとされます。
イエメンでコーヒーノキの栽培が始まった時期は、15世紀とも16世紀ともいわれ、資料によって幅があります。やがてコーヒーはメッカやカイロへ、さらにオスマン帝国の都イスタンブールへと広がり、16世紀半ばにはイスタンブールにコーヒーを飲ませる店ができました。
コーヒーの積み出し港として栄えたのが、イエメンのモカです。その名前は、いまもコーヒーの銘柄に残っています。
ヨーロッパへ、そして世界の産地へ
17世紀に入ると、コーヒーはヴェネツィアなどを通じてヨーロッパに伝わります。オランダやイギリスの東インド会社によって運ばれるようになり、ロンドンなどの都市ではコーヒーハウスが人びとの情報交換の場になりました。
需要が高まると、ヨーロッパの国々はイエメン以外の土地でコーヒーを育て始めます。World Coffee Researchによると、のちにティピカと呼ばれる系統は、次のような道のりで広がりました。
- 1700年ごろまでに、イエメンの種子がインドで栽培される
- 1696年と1699年に、インドのマラバール海岸からジャワ島へ種子が送られる
- 1706年、ジャワ島からアムステルダムの植物園へ1本の木が運ばれる
- 1714年、オランダからフランスへ1本の木が贈られる
- 1719年以降、オランダ領ギアナ(現在のスリナム)、フランス領ギアナを経て、1727年にブラジル北部へ
フランスからは1723年に西インド諸島のマルティニーク島へ苗木が運ばれ、カリブ海から中南米へと栽培が広がっていきました。また1700年代の初めには、フランス人がイエメンからブルボン島(現在のレユニオン島)へコーヒーを持ち込み、そこからブルボンの系統が生まれます。
ほんのわずかな種子と苗木が、海を越えて、世界のコーヒー産地の始まりになった。
受け継がれてきたもの、失われたもの
こうしてコーヒーは、コーヒーベルトと呼ばれる熱帯の国々に根づいていきました。19世紀にはブラジルが産地として大きく成長し、やがて世界最大の生産国になります。
一方で、世界に広まったアラビカ種の多くは、ごく限られた木から増やされたものです。現代の栽培品種の多くはティピカかブルボンの系統の子孫とされ、遺伝的な多様性が低いことが、病気への弱さにもつながっていると指摘されています。いまもエチオピアに残る多様な在来種が貴重な遺伝資源とされるのは、そのためです。
日本にやってきたコーヒー
日本とコーヒーの出会いは、江戸時代の長崎にさかのぼります。全日本コーヒー協会の年表によると、1641年にオランダ商館が平戸から出島に移されて以降、オランダ人によってコーヒーが出島に持ち込まれました。
とはいえ、すぐに受け入れられたわけではありません。1804年には、長崎奉行所に勤めていた大田蜀山人が、オランダ船ではじめて飲んだコーヒーを「焦げ臭くて味わうにたえない」と書き残しています。
それから80年あまりたった1888年、東京・下谷黒門町に、喫茶店「可否茶館」が開店します。いまの喫茶店文化へとつながる、日本のコーヒーの歩みの始まりです。
一杯の中にある、長い旅
エチオピアの森からイエメンへ、イスラーム世界からヨーロッパへ、そして世界中の産地へ。コーヒーの歴史は、人びとの交易と移動の歴史でもありました。
産地の名前や品種の名前には、その旅の記憶が刻まれています。次にコーヒーを飲むとき、その一杯がたどってきた道のりに、少し思いを巡らせてみてください。